2014年12月6日
古城散策@
八木城跡と聚楽第(飛雲閣)&勝竜寺城跡

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.
乗換 天神橋筋六丁目駅
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マニアックな古城めくり・・・今回のツァーは列車利用です。
大阪駅08:02発の"ひだ号"で京都へ…山陰本線に乗換、
八木駅には09:36に到着します。

八木駅から20分も歩けば・・・登山口。
八木城.城主、内藤飛騨守の碑があります。

八木城 (丹波国)
京都府南丹市八木町八木
●元弘3年(1333年)足利尊氏が丹波篠村八幡宮での挙兵に応じた
内藤顕勝(定房)が戦功により船井郡を与えられ建武2年(1335)
に八木に入ったのが築城の始まりとされています。
●八木城主内藤飛騨守忠俊は、丹波守護代内藤家として足利義
昭を支持し、信長に敗れた義昭が京都を下向した後も織田氏に
敵対する行動を取ります。
●天正6年(1578年)織田氏の家臣.明智光秀の攻撃に遭い八木城
は落城し所領を没収。
その後、足利義昭が備後・鞆(現在の広島県福山市鞆町)に幕府
を移すと、これに従い出仕。
●天正13年(1585年)頃に、飛騨守忠俊は小西行長に仕えます。
●慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦いで主君・行長は西軍の主
力として戦って敗れ、忠俊はキリシタンである肥前の大名・有馬
晴信の手引きで平戸へ逃れ、その後加藤清正や前田利長の客
将となる。
●慶長18年(1613年)徳川家康からキリシタン追放令が出されると、
慶長19年忠俊は、高山右近や妹のジュリアと共に呂宋(フィリピ
のマニラへ追放。
●寛永3年(1626年)、マニラにて病死。


"遊歩道"なんて、誰が名付けた、道なき道ですョ。
二合目で危険なので、カメラは諦めました、相当厳しい




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