澤熊講師と行く・・・2012年11月14日

 六十数年にわたって、沿線の人々や柵原鉱山からの硫化鉄鉱を運び続けた片上鉄道。
        平成3年6月に廃線となったその鉄道敷が、平成15年11月に自転車道としてよみがえりました。
        その道…旧吉ケ原駅から片上駅34kmを3回に分けて、歩こうという企てです。  

備前・片鉄ロマン街道ウォーク
第1回

 

廃線後も、当時の列車はふれあい鉱山公園に保存され、毎月第一日曜日に
展示運転(動態保存)されています。
元国鉄キハ07形や04形、DD13形牽引の旧型客車などは、多くの鉄道ファン
から絶賛されています。

鉱山資料館見学


いよいよスタートです。(本日の歩行距離は、約14km)

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吉井川に架かる 周匝橋 (スサイバシ) に、古代神みたいな像が・・・
何か伝説でもあるのかナ、と
岡山県といえば温羅伝説が有名なので、ネットで探ってみましたが
この周匝橋の事は見当たりません何かご存知のお方…下さい

こんな文章をみつけました。と、すると像は吉備津彦命かナ?
吉備津彦命は大軍を率いて吉備国に下り、まず吉備の中山に陣を敷き、西は片岡山に
石楯を築き立てて防戦の準備をした。これが楯築遺跡で、吉備の中山には
吉備津彦命
が埋葬されたと言われている中山
茶白山古墳がある。

岡山県赤磐市石上に石上布都魂神社という神社がありまして
十握剣(天叢雲剣)を祀ったのが当社の創始と伝えられる。この剣は 崇神天皇の時代に
大和国の石上神宮へ移されたとされており、
素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣で
ある布都御魂と伝えられていた。

この説で考えると、像は素盞嗚尊(須佐之男命)ということになります。


周匝橋東微北(標高約180メートル)にお城が見えました。
茶臼山城
 ●1579年(天正07年) - 宇喜多氏の美作侵攻により、落城。
 ●1584年(天正12年) - 毛利元清が民政充実のため茶臼山へ移城。
 ●1587年(天正15年) - 豊臣秀吉が、九州征伐に引き続いて征韓の役で寄った。
 ●1600年(慶長05年) - 関ヶ原の戦いに西軍が敗れ、毛利氏が萩へ西帰するまで16年間在城した。
 ●江戸時代には備前池田藩が周匝に一族で家老の池田伊賀守(片桐池田家)を配置。




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