2009年2月8日
秀吉ゆかりの城下町・長浜を歩く
 (JR貸切列車で行く長浜歴史ウォーク)



. 大阪駅(9:30発)〜長浜駅(11:30着) 曳山展示場 大通寺 豊国神社 長浜城 慶雲館(盆梅) .





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 長浜城
豊公園・長浜城歴史博物館
 織田信長が妹のお市の夫である浅井長政の居城・小谷城を攻めた時、木下藤吉郎(後の秀吉)は
 大活躍しました。小谷城が落城する寸前に、お市と3人の娘を救出したエピソードは有名です、
 天正元年9月、浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は戦功ににより浅井氏の領地の大部分をあたえられ、
 羽柴秀吉を名乗り、はじめてコノ
長浜で城持ちの大名に出世したのです。
 長浜(当時は今浜)が交通の要衝であると考えた秀吉は、長浜に城を築き・居城とし、小谷城は廃さ
 れました。
 信長亡きあとの清州会議で柴田勝家の甥の勝豊が城主となりますが、秀吉は勝豊を圧し.取り戻し
 賤ケ岳合戦の拠点とします。
 以後、長浜城は
【山内豊一】【内藤信成】【内藤信正】が城主になり、豊臣氏が滅亡すると、
 城は取り壊され、石垣等の材料は彦根城建設のために使われました。
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 現在の長浜城は、昭和58年(1983)に再建され、内部は歴史博物館として、今日に至っています。
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長浜城天守からの展望
西は琵琶湖の水面が間近に、振り返って東を向くと伊吹山が真正面に・・・

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長浜城を囲む、当時の戦国合戦図が天守閣に有りましたが、上が南・下が北と逆なので、見難いでしょう。




北国街道が街の南北を貫く城下町・長浜は、秀吉の時代そのまゝに、賑わってます。

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長浜のマンホールのデザインは、秀吉の旗印の瓢箪でした。




ながはま御坊表参道の正面・大通寺
何百年も昔から「御坊さん」の愛称で親しまれ、信仰心の篤い北近江における真宗大谷派の
一大拠点であり、地域の善男善女の心のよりどころとして大事に守られてきました。

湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に真宗大谷派の開祖である教如を開基と
して長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転した。伏見城遺構の本堂や大広間などの建築物
(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・
狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られています。





豊国神社
安土桃山時代、秀吉の没後に長浜の町民がその遺徳を偲んで建立。事代主大神、豊臣秀吉、
加藤清正、木村重成を祭神としています。
大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、徳川幕府は神社を取り壊すよう命じました。町民は、一時、祭神を
町年寄の家へ移し、八幡宮の古堂を移築して、商売の神様である恵須神を前立に、奥殿に秀吉像を
ひそかに祀り、長い江戸時代を過ごしました。
明治31年(1898)の秀吉300回忌に社殿を造営して現在の社容を整えました。
1月の十日戎、武者行列が繰り広げられる10月の「豊公まつり」の際には、商売繁盛や出世を願う人
で賑わいます。





長浜市曳山博物館
長浜の曳山祭りは400年以上の伝統を誇る日本三大山車祭りの一つです。
歴代の名工が装飾した絢爛豪華な曳山は“動く美術館”とも呼ばれ、重要文化財の見送り幕も見事です。
祭りの一番の見どころは、江戸時代から続く「子ども歌舞伎」。華やかな衣装を身にまとった5〜12歳の
男の子役者が、時代絵巻さながら曳山を舞台に熱演します。
この博物館は、 実物の山車を2基展示し、壮麗な曳山の上で演じられる、子ども歌舞伎を映像で紹介して
います。





長浜の盆梅慶雲館
昭和27年から始まった長浜盆梅展は、旧浅井町の故高山七蔵翁が盆梅を長浜市に寄贈したこ
とが起源です。
現在では、長浜の新春の風物詩として、歴史・規模ともに「日本一の盆梅展」と言われています。

慶雲館は、滋賀県長浜市の迎賓館で、明治20年(1887年)に明治天皇行在所として建設されました。
館名は当時の総理大臣であった伊藤博文の命名と伝わります。
本庭の池泉回遊式庭園(国指定の名勝)は名匠7代目小川治兵衛の代表作であると同時に近代日本
庭園の最高傑作の一つとして名高い。


滋賀県長浜・慶雲館の盆梅は、2月8日・・・7分咲きでございました