2008年11月20日

山城探訪ハイク 第3回 備中・松山城吹屋


松山城は岡山県高梁市内の山城で、別名、高梁城と呼ばれてます。
国指定の史跡で、日本100名城に列し、また日本三大山城の一つに数えられています。
四国の愛媛県松山市の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城」と
呼ばれています。




岡山県高梁・・・
備前松山城の城下町は、昔日の雰囲気を良く残した町です。





城へは自動車道も通じていますが、今日の我々は『山城ハイク』・・・歩きます。

途中の、赤穂藩の大石内蔵助が休息に利用した腰掛石や、山麓の御殿と山城天守との連絡の
中継に用いられた太鼓丸跡を越え、エッチラ・オッチラ・・

ふぅ〜、この山城は攻め難い・・・さすが三大山城です。

備中松山城は、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある城です。

お城のある山は臥牛山
臥牛山の名は、南から見た山容が草の上に伏した老牛の姿に似ているとしてつけられました。
標高約480m、面積約200haの天然暖帯林で、日本でも有数の植物・昆虫・鳥類の宝庫です。
230種を越える樹木が生育し、150種以上は野鳥が生息しているといわれています。




備中松山城
毛利氏時代から、小堀氏が城番で入城する慶長の間にはすでに存在していたと考えられています。
現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水野勝宗が造営したとされていますが、
慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水野勝宗が改修し、現在のような姿にな
ったともいわれています。
                 詳しいお城の歴史は→ココをクリック




2層のの天守閣の内部は、コレと言った展示物はありませんが
コレはこれで本当の城らしく好感が持てます。




天守閣から城下町は見えません。
と・云うことは、城下町から見上げてもお城は見えない。(あたりまえですネ)、残念です




大手門跡の後方にそそり立つ巨岩と、その上に載る厩曲輪石垣は、巨岩の割れ目に貫入した
樹木の成長により、割れ目が次第に大きくなっています。更に巨岩の上に載る石垣の重みで岩
のズレを生じています。これらの影響で上部の石垣が変形しつつあり、将来崩落する危険を孕ん
でいるのです。

このため、平成11年(1999年)より高梁市教育委員会は京都大学防災研究所と共同で、岩盤斜
面にペルーのマチュ・ピチュ遺跡などで地滑りの観測をしているのと同様の不安定岩盤斜面監視
システムを設置し、調査・観測しています。





秋だからあたりまえですが見事な紅葉です。





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ベンガラ色の赤い町並みで知られる吹屋を散策しました。
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吹屋は、標高550mの山間に位置する集落で、江戸時代中期より吹屋銅山の町として発展し、
幕末頃から明治時代にかけては銅鉱とともに副産物である赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)の
日本唯一の製造地として繁栄を極めました。
山間に忽然と存在するベンガラ格子と石州瓦による赤褐色の重厚な商家の町並みが昔日の
繁栄の大きさを象徴しています。


吹屋小学校
現役で使用されている日本最古の小学校校舎が有名です。
2008年の在校生は7名です。