2008年9月23日
山城探訪ハイク 第1回 但馬・竹田城跡生野銀山



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別名「虎臥城」と呼ばれるのも、頷ける光景です。

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シリーズ「山城探訪ハイク」が始まりました。その第一回は但馬・和田山の竹田城跡です。

山城とは、文字通り・山の上のお城で、険阻な山を利用して築かれた城のことです。

山城は、防御に有利な地形に築くことが望まししく、険しい山はその条件を満たしますが、反面
住むには不便で、守るべき対象である人の 居住地から離れています。そのため 防御専用の
要塞として作られることが多く、平時は麓に住民と共に城主が住み、敵が来襲すると山上の城
に立て籠もると言った使い方がされたのでしょう。

わが国では、戦国後期に支配の象徴として城が作られるようになると、山城は徐々に廃され、
城下町のついた平山城、平城が主流となりまたが・・・

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  竹田城は、14世紀中頃、但馬守護・山名氏の支城として築城されましたが、秀吉の但馬攻略で
  弟の秀長に与えられ、秀長没後は秀吉に投降した龍野城主・赤松広秀が城主となります。
  慶長五(1600)年、関ヶ原戦で広秀は西軍に加担し、のちに家康に帰参しますが、結局は家康の
  命により切腹、赤松氏は断絶し・・・城も廃城となってしまいました。


   山城の郷でバスを降り、少し険しい山道を駆け上がること、約20分で、東に立雲峡を望む標高
   353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に着きます。
   縄張りは、南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、
   南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する
   一郭があります。
   廃城から約400年を経ていますが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城と
   して全国屈指の規模となっています
。         「やましろ」ではなく、「やまじろ」と読んで下さいネ



 本丸跡で一息いれて・・・天守閣跡へ挑みます。




   本丸跡からの展望・・・右下に見えるアーチ型の橋は、播但連絡道路です。
    播但連絡道路は、兵庫県姫路市の姫路JCTから朝来市の和田山IC
    に至る延長約65.1kmの地域高規格道路(自動車専用道路)です。





   本丸跡から天守閣跡へは、丸太のハシゴで登ります。
   バス2台分、90数名の上り下りに一本の梯子では、相当の時間が・・・


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   天守閣跡からの・・・南千畳の展望は抜群です。
   
朝霧の武田城を撮るなら、ここが絶好の撮影ポイントになるでしょう。
                         素晴らしい朝霧の光景が・・・ココに→
                               (株)アイエスオーグラフィック〔岡泰行さん〕のサイトです。 



 南千畳から見た天守跡
 この上に、天守閣が存在していた光景・・・どんなだったでしょう・・・見て・みて・見たい



 グウ〜ッとアップして見ると、見事な石組み・・・
 安土城や姫路城と同じ、穴太積みによる石垣です。



   登城記念写真
   二の丸から三の丸に降りてきました。天守閣跡をバックに・・・ハイ・チ〜ズ

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生野銀山




山城探訪の2回目は、10月23日に美濃の岩村城を予定。