澤熊講師と行く・・・2011年10月15〜16日・1泊2日



遠州の古刹めぐり
平安から江戸へつながる悠久の足あと、
今回は.静岡県浜松市・名刹の旅です。





可睡斎
静岡県袋井市久能2915-1
曹洞宗・山号は萬松山。本尊は聖観音で江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・
駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持っていました。
徳川家康が、幼い頃武田信玄の軍から逃れ父と共に匿われた礼に訪れた際、席上で居眠り
をする仙麟等膳和尚(第11代)を見た家康は
和尚我を見ること愛児の如し故に安心して眠るわれその親密の情を喜ぶ和尚眠るべし
と言い以来和尚が可睡和尚と呼ばれたことからいつしか東陽軒であった寺の名も可睡斎
関三刹 (大中寺・總寧寺 ・龍穏寺)
江戸時代、徳川幕府の宗教政策の一環として主に地方の農村や武士階級に影響力を
持つ曹洞宗に対し、1612年(慶長17年)、上記の3箇寺に関東僧録司として宗派統制の
権限を与え、住職も幕府の任命制にして、統制を図った。また、
永平寺の住職を上記の
寺院の住職経験者から選出させる事とした。
.
行程に入っている医王山油山寺と法多山尊永寺 は、
この可睡斎と共に、遠州三山 と称されています。





凄く大きなトイレです。
現役です。そのトイレの中での説明も・・・凄い事です。




三尺坊大権現
江戸時代以前は、静岡県浜松市天竜区春野町領家の赤石山脈の南端に、三尺坊大権現
祀る秋葉社と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺とが同じ境内にある神仏混淆でありました。
人々はこれらを 事実上ひとつの神として 秋葉大権現 秋葉山 などと呼んでいました。
1868年(明治元年)に明治政府によって神仏分離令が、1872年(明治5年)には修験宗廃止
令が強行され、山内の修験派と僧派の対立も手伝って、三尺坊大権現は ここ萬松山可睡斎
に遷座されたのです。






可睡斎の始まり、東陽軒
東陽軒とは・・・シュウマイ屋と間違いそう で…


次の油山寺までは、約2時間のハイキングコース
我々は、時間の都合で・バス移動です。



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