澤熊講師と行く・・・おもしろ歴史ハイク                                2011/06/06〜09
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対馬の歴史を訪ねて




対馬に渡るには、福島県の博多港から高速船で・・・、位置は、佐賀県の北方
なのに、何故か対馬は長崎県なのですネ


博多港からの高速船は、途中壱岐に寄港しますが乗船時間は2時間20分で、対馬の厳原港へ



対馬は、
本州・北海道・四国・九州の主要4島を除くと、第6位の広さをもつ島です。
地理的に朝鮮半島に近いため、古くからユーラシア大陸と日本列島の文物が往来し、
日本にとっては大陸との文化的・経済的交流の窓口の役割を果たしてきた。また、
地政学的にはチョークポイントにあたるところから古代より国防上重視され、明治時代
には対馬警備隊 (日本軍)が、戦後は対馬警備隊 (陸上自衛隊)・対馬駐屯地が置か
れています。又、対馬要塞が築かれたこともあります。

3世紀の魏志倭人伝には「韓国よりはじめて一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。
…居る所は絶島にして、森林多く、道路は鳥と獣の小道のごとし。千余戸あるも、良田
なく、海物を食らいて自活し、舟に乗りて南北にしてきす。」と記述されています。

対馬は、東海岸の一部と下島の西海岸の一部を除く ほぼ全域で リアス式海岸が発達し、
海岸線の総延長は915キロメートルにもおよぶ。特に主島の中央には西から大きく切り込
んだ浅茅湾(あそうわん)があり、東からも三浦湾、大漁湾(おろしかわん)などが切れ込んで
多島海を形成している。また、浅茅湾の自然海岸線の延長は日本一の長さとして知られる。
その他、各地に小さな湾があり、多くは漁港として利用される。断崖絶壁もしばしば見られ、
なかには、標高差が100メートルにおよぶものもある。
主島はかつて1つの島だったが、地峡となっていた部分が、1672年(寛文12年)に大船越
瀬戸が、1900年(明治33年)に万関瀬戸が人工的に開削され、細長い主島は南北3島に分
離された。過去には南部を上島、北部を下島と呼んだこともあったようだが、現在は万関瀬
戸より北部を上島(かみじま)、南部を下島(しもじま)と呼ぶ。
全体的に山がちで険しいが、下島の方が標高が高い。下島中央部には最高峰の矢立山
(標高648.5m)があり、舞石ノ壇山(めいしのだんやま:標高536.4m)・龍良山(たてらやま:標
高558.5m)などの矢立山系が内山盆地を囲む。その北東に有明山(標高558.2m)があり、
浅茅湾南岸に白嶽(しらたけ:標高518m)がある。上島の最高峰は北部にある御嶽:標高
479mである。




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一日目の歴史探訪へと続きます。