@




石光寺
大和路の二上山のふもとにある石光寺の草創は、約1300年前、天智天皇の
勅願で建てられ、役小角の開山と伝えられ、境内に奈良時代前期といわれる
塔の大心礎があり、平成3年には 弥勒堂改築に伴う発掘調査の結果、日本
最古の白鳳時代の石仏(当時の本尊)と他に瓦や仏せんが出土しています。
開山当時は三論宗、鎌倉時代には真言宗に変わり、さらに浄土宗に転じた。
別名「
染寺」とも呼ばれ、中将姫ゆかりの「染の井」も、ココにあります。



この当たりの散策は、まず中将姫のお勉強から・・・
中将姫
大化改新に功績のあった藤原鎌足の曾孫・藤原豊成が、その頃朝廷に使えていた紫の典侍
という美しい官女を妻に迎え久しく子供が産まれず、そのために夫婦は
長谷寺の観音に参篭
して祈願をこめ、そして生まれたのが中将姫だと伝わっています。

輝くばかりの美貌と才能に恵まれ、9才の時には孝謙天皇の前に召されて、15歳のときには
三位中将の位をいただきます。〔藤原豊成が「中将内侍」の官名の勅許を受けたとの説も…〕
それ以来、世間ではこの姫の事を中将姫と呼ぶようになりました。
しかし父・豊成は
橘奈良麻呂
が起こした反乱に関与したとして、九州に流罪となってしまいます。
その後、5歳のとき母を亡くした中将姫は、後妻の照日前に苛められ、継母の暗殺から大和国
雲雀山に逃れて、當麻寺に入り尼となり、仏行に励んで、徳によって仏の助力を得て、一夜で
蓮糸で
当麻曼荼羅(観無量寿経の曼荼羅)を織ったとされています。





石光寺の芍薬
石光寺は寒牡丹で有名ですが、近年は雪が少なくなり、雪を被った牡丹はには、
めったなことにお目にかかれなくなりましたが、それでも季節には境内で四千本
以上、五百二十種類の色とりどりのボタンや芍薬が、花の浄土図を描きます。
牡丹の見ごろは5月の連休頃・・・今日は5月14日・・・遅いです。
でも、シャクヤクは、何とか残ってました…・・・立てば芍薬、座れば牡丹





ページを改めますお進み下さい

次は當麻寺