澤熊講師と行く・・・2011年2月26日
                 大辺路の最終回

古くから多くの人々が現世浄土を求めて歩いた祈りの道が熊野古道です。

淀川河口の渡辺津(摂津国)から一路南下、和泉国を経て、雄ノ山峠を越えて
紀伊国に入り、紀伊田辺からは大塔山地周縁部を東進して熊野本宮に至り、
新宮速玉大社・那智大社を結ぶ紀伊路・中辺路
古くから伊勢神宮と熊野三山を結ぶ交通路で、「伊勢へ七度、熊野へ三度」と
呼ばれた信仰の路が伊勢路
弘法大師によって開かれた密教の聖地である高野山と、熊野三山の一角で
ある熊野本宮大社とを結ぶ険しい三つの峠越えのある小辺路・・・と、

ここ数年で歩き尽くた感がありますがましたが、まだマダ残っておりました
そう、それは大辺路です

大辺路紀伊半島を南に向かって海岸沿いを並行するコースで、田辺から
串本を通り、那智勝浦の補陀洛山寺に至る約120kmの路で、嶮しい難路もあり
ますが、潮風に吹かれ雄大な太平洋を望む路は、信仰と観光を兼ねた参詣道と
して海と山が紡む豊な自然と歴史を満喫する事が出来る熊野古道です。

1泊2日の行程


古道ウォークの前に、スタートの串本駅から数分の無量寺に立ち寄りました。

無量寺は近畿の南端・串本町にある臨済宗東福寺派の寺で、本尊は釈迦如来です。
創建年代は不明で、寺伝によると虎関師錬を勧請開山として光岳之が開創したと伝え
られています。
1707年(宝永4)大地震と津波により寺坊は流失。1786年(天明6)文保愚海が入寺して
再建され、愚海と親交のあった円山応挙は再建を祝って新本堂を飾る画を高弟長沢
蘆雪
に託しました。蘆雪は当地滞在中、無量寺ほか数か寺で画を描き残します。
当寺所蔵の応挙筆『波上群仙図』、蘆雪筆『龍虎図』など方丈障壁画55面は国の重要
文化財に指定されています。



無量寺は別名を芦雪寺と呼ばれ、境内の串本応挙芦雪館の名の方が有名な寺です。

円山 応挙
江戸時代中期の絵師で、近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり
写生を重視した親しみやすい画風が特色です。
「足のない幽霊」は、この応挙がはじめて描いたと云われています。
長沢 芦雪
円山応挙の高弟で、蘆雪と書かれる場合もあります。

ココ無量寺の障壁画は芦雪のものが大半を占め、応挙のものは 『山水図』 が残されて
います

円山応挙 




さァ、歩きましよう、今日の予定は古座まで約10qです。



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