2009年1月29日
山城探訪ハイク 第5回 鬼ノ城吉備津神社

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  大阪=バス=山陽道=総社IC=吉備津神社・拝観=昼食(サンロード吉備路)=
  =砂川公園駐車場-3`-鬼城山ビジターセンター鬼ノ城跡一周・約2`
  →鬼城山ビジターセンター砂川公園駐車場=総社IC=山陽道=大阪・解散0000
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本日は、「吉備路」を訪ねました。
主な訪問先は、吉備津神社と、鬼城山の鬼ノ城跡です。
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 吉備路は古代「吉備氏」王国時代の中心地だったと考えられます。
 「吉備氏」は、主として5世紀に繁栄し、吉備を筑紫・出雲・ヤマト・毛野と並ぶ古代の有力地方国家に
 発展させることに貢献し、大和の豪族たちと同盟・・・日本列島の統一と発展に寄与したと考えられます。
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 吉備氏と大和朝廷との関わりは・・・
 ◎、景行天皇の妃となった播磨稲日大娘は、ヤマトタケルを生みました。
 ◎、そのヤマトタケルと共に蝦夷遠征を行った吉備武彦の娘は、ヤマトタケルの妃となりました。
 ◎、吉備武彦の子の鴨別(かもわけ)は、仲哀天皇の熊襲征討に功績がありましたた。
 ◎、兄媛は応神天皇の妃、黒媛は仁徳天皇の妃となっています。
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吉備津神社の主神は、吉備津彦命(キビツヒコノミコト)
そして、吉備津彦命の異母弟の若日子建吉備津日子命と、その子・吉備武彦命・等、一族の
神々を合わせ祀っており、吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子で、武勇の誉れ高い人物だ
ったらしいです。


日本書紀には
「若し教を受けざる者あらば、乃ち 兵を挙げて伐て」と、吉備津彦をもて 西道に遣わす。

古事記には
孝霊天皇の御子、大吉備津日子命と若日子建吉備津日子命は、針間を道の口として、
吉備の国を言向け 和したまいき


吉備津彦命は日本神道の神、備冠者とも云われています
別名(本来の名)を五十狭芹彦といい、吉備国を平定した事によって吉備津彦を名乗る事に・・・、
(吉備津とは「吉備国」の「津」であり吉備津彦とは「吉備の勢力者」の意味です)
一説にはこの時の逸話(温羅伝説)が桃太郎のモデルの一つであったとも言われており、吉備国の
あった岡山県はこれをして自県を「桃太郎発祥の地」として広いPR活動を行っています。





何だか難しくなってきましたが・・・要するに
『桃から生まれた桃太郎は、モデルが吉備津彦命で、
我々が午後から訪れる鬼ノ城が、鬼ケ島』
・だったと
と謂う伝説が、この地に残っているのです。




お進み下さい




時間のあるお方は
もう少し、お付き合いいただけますか
香川県高松市に、もう一つの桃太郎伝説があるのですよ

香川県高松市に「鬼無(きなし)」という地名があります。ここは,桃太郎が鬼を
退治して
鬼がいなくなったことから「鬼無」という地名になったといいます。

この高松での桃太郎のモデルは「稚武彦命
」で、これは何と吉備路の桃太郎・
吉備津彦命」の弟なんです。

そして「吉備津彦命と稚武彦命・兄弟」のが「倭迹迹日百襲姫命

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は奈良県桜井市箸中の
箸墓古墳の
被葬者と言われ、

この古墳は魏志倭人伝にある邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓とする説もあり

吉備津彦命、稚武彦命、倭迹迹日百襲姫命の三姉弟は第7代孝霊天皇の
子供で、そして桃太郎と卑弥呼
かも
と並べると、古代史のロマンに触れた気
がするのは、わたくしだけでしょうか。