シリーズ・ 万葉集を歩く  第7回 2007年3月22日

二上山・大和三山・藤原京


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大阪梅田茶屋町7:30阪神西名阪=道の駅(たいま)
二上山公園=飛鳥資料館
天香山神社天香具山・山頂藤原京跡今井町散策
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二上山公園

公園の正面に見える双コブの山が二上山
山頂付近には大津皇子のお墓があります。
今日は題材が万葉なので、登山は他日に譲って、
下からの遥拝です。


大津皇子
の母・大田皇女は天智天皇の皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉だったため、
夫・天武帝即位時に生きていれば、間違いなく皇后になっていた人物だったが、大津が4歳頃の
時に早世してしまう。686年に天武帝が崩御すると、1ヶ月も経たない10月2日に親友の川島皇子
の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日磐余にある訳語田の自邸で
死を賜わった
事件の背景には、鵜野讃良(
持統天皇)の意向があったとする見方が有力です。
また、自らが生んだ皇太子・
草壁皇子を差し置いた大津の即位のみならず、その妃で嫌っていた
蘇我赤兄の孫娘でもあった
山辺皇女が立后されるのを皇后が許さなかったからとも見られている。

死を賜った…その時の大津皇子の辞世の歌は
 ♪、ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (巻3−416)

万葉集の題詞には死の直前に姉である大伯皇女をたずねて、伊勢神宮へ向かったとあり

その時に大伯皇女が詠んだ歌・2首
 ♪、わが背子を 大和に遣ると さ夜深けて 暁露に わが立ち濡れし (巻2-105)
 ♪、二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君が 独り越ゆらむ (巻2-106)

大津皇子・処刑後、大伯皇女が退下・帰京途上で作りし歌・2首
 ♪、神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに(巻2-163)
 ♪、見まく欲り わがする君もあらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに
(巻2-164)

大津皇子・二上山に移葬されたときに、大伯皇女が作りし歌・2首

 ♪、うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背とわが見む(巻2-165)
 ♪、
磯の上に 生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君が ありといわなくに(巻2-166)

万葉集で大津皇子を語るとき、石川郎女との相聞歌をのがしては・・・

 ♪、あしひきの 山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ 山のしづくに  大津皇子
(巻2-107)
 ♪、吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに ならましものを
石川郎女(巻2-108)

大津皇子、秘かに石川郎女に婚ふ時、津守連通その事を占へ露はすに・・・・・・
 ♪、大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し(巻)
大津皇子には山辺皇女という妻が居ます。相手の石川郎女は何かと噂の多い女性、草壁皇子とも…大伴田主も・・・。
人によっては石川郎女をめぐる恋の争いを、大津皇子謀反事件の背景と考えるくらいですから、大変な美女だったのでしよう。
それにしても「
我が二人寝し」とは、なんと大胆な表現を残したものです。これが万葉のおおらかさでしょうか




天香具山
大和三山では、香久山だけが「天」の字がついています。
天から降ってきた山との伝承もあります。
聖なる山として特別な思いで接しられてきたのでしょうか。
万葉集には数多く詠まれています。

香具山・山頂

(舒明)天皇、香具山に登りて望国したまふ時の御製歌
♪.大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 
    国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


0山頂の見晴らしは、現在 木が多くて よろしくないですが、木立の間から畝傍の山が望めます。




藤原宮跡に立つと東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山の大和三山が望めます。

藤原宮の御井の歌
やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門 始めたまひて 
埴安の 堤の上に 在り立たし 見し給へば 大和の 青香具山は 
日の経(タテ)の 大御門に 
青山と 繁さび立てり 畝火の この瑞山は 
日の緯(ヨコ)の大御門に 瑞山と 山さびいます 
耳無の 青すが山は 
背面(ソトモ)の 大御門に 宣しなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は
かげともの 大御門ゆ 
雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天のみかげ 天知るや 日のみかげの 
水こそは  常にあらめ 御井の清水
(作者不詳・巻1−52)
(注)日の経は東・天の香具山日の緯は西・畝傍山背面は北の耳成山を指し雲居は遠くの吉野の事。
   藤原の都の聖なる水の井戸を讃えた雄大な歌です。

 「日の経(タテ)・日の緯(ヨコ)」は、東西南北の方角の筆頭、東を経糸で表したもの。
陽の東に対し陰の西は緯(ヨコ)糸で表し、下に「日の緯」といっている。『高橋氏文』
(『本朝月令』所引)にも東を日竪、西を日横にあてている。ただし成務紀(5年9月)には、
東西を日縦、南北を日横としている。(『万葉集釈注』伊藤博)


大和三山、畝傍・耳成・天香具山を地図上に並べて見ると、
その三角形の中に藤原京跡が・・・

その、三角形は歪に見えるけど・・・
遠く三輪山と対比してみると、何故か藤原京造営の意図が感じられる気がするのは
私だけでしょうか



万葉集では
    香具山は 畝火ををしと耳梨と 相あらそいき神代より かくにあるらし
              古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき

中大兄皇子が詠んでいます。大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌ですが、この歌の「畝火ををし」を
「畝火雄々し」と解釈し畝傍山の神は男神であるという説と、「畝火を愛し」と解釈して畝傍山は女神であるという説があります。

この歌は、
中大兄皇子と弟の大海人皇子の、額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものという説があり、
一般には、香具山と耳成山が男神、
畝傍山が女神とされています。




昼食は明日香村のど真ん中「あすか野」でいただきました。
丘の上の紅い花は?、梅にしては背が高すぎる・・・私は「すもも(李)」と見ましたけど・・・

 ♪、吾が園の 李の花か庭に散る はだれのいまだ 残りたるかも
(巻19/4140 大伴家持)
違うナ〜、この歌では「雪が残っているように」見えたのだから、スモモの花は白・・・
何方か花に詳しい方、教えて下さいョ



飛鳥時代に全盛を誇った蘇我一族・・・蘇我蝦夷・入鹿や聖徳太子の歌が万葉集に登場しない理由は?
そんな事を考えながら・・・蘇我馬子の墓とも云われている石舞台を後にして次に向かいました。



昼食の後は、万葉から離れて飛鳥資料館の見学です。
この資料館では、高松塚古墳出土の多くの遺物や飛鳥寺・川原寺・大官大寺・山田寺から出土された遺物を展示しています。
また石神遺跡出土の須弥山石と石人像の展示、水落遺跡で発見された水時計遺溝の模型や藤原京全景の復元模型の展示
しています。野外中庭では飛鳥周辺にある多くの遺跡で発見された遺物(特に飛鳥の石造物)の模造品が展示されています。





今井町(奈良県橿原市)
万葉集には関係ない町ですが、歴史好きには必見の町並みです。
     かつて『大和の金は今井に七分』といわれたほど繁栄した町で、
     現在も、大半の町家が江戸時代の姿を残しております。




  本日は、二上山で大津皇子を偲ぶ姉・伯皇女の挽歌にふれ
  天香具山においては、舒明天皇に習って国見をした一日でございました。

  そして、ソロソロ陽が傾きかける五時まえ帰途に・・・
「万葉を歩く」シリーズ7回目の〆は、やはり この歌で・・・

    ひさかたの 天の香具山 このゆうべ 霞たなびく 春立つらしも 
(巻10-1812・柿本人麻呂)