シリーズ・万葉集を歩く  第5回 2008年1月13日


大津京と蒲生野・近江朝の夢の跡

大阪・梅田茶屋町(8:00)= =名神高速=大津市歴史博物館弘文天皇陵
近江大津宮錦織遺跡南志賀廃寺近江神宮=鮎屋の郷(昼食)
万葉の森・船岡山公園==山部神社…赤人寺
=大阪
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まず、大津市歴史博物館で、近江大津宮の基礎知識を叩き込んだ後、
大津廃都の散策に出発です。
  
さざ波の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ    (1-30・柿本人麻呂)
  
楽浪の 志賀のおおわだ 淀むとも 昔の人に またもあわめやも (1-31・柿本人麻呂)


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近江大津宮
は、7世紀後半の天智天皇が営んだ宮で、近江宮とも大津宮とも呼称されます。
滋賀県大津市錦織の遺跡が近江大津宮の跡とされていて、なお本来の表記は水海大津宮
(おうみのおおつのみや)であったという指摘があります。



弘文天皇陵
第39代・弘文天皇は天智天皇の第一子で、大友皇子の事。天智の死後、吉野に 隠遁していた
天智の弟・大海人皇子の起こした「壬申の乱」に破れて自害した。
日本書紀は弘文
天皇が即位したとは記録していないが、明治になって歴代天皇に加えられました。



新羅善神堂
元は園城寺(三井寺)の境内神社でしたが、現在は独立しています。
貞観2年(806年)に作られたとされる檜の一本造の新羅明神坐像国宝です。
文禄四年(1595)の秀吉による破却のため、 山内にはそれ以前の建立になる建築
が極めて少ないのですが、足利尊氏によって再興されたと伝えられた社殿で、
貞和三年 頃の造立とされています。



近江大津宮錦織遺跡
昭和49年(1974)に錦織集落の住宅密集地の一角で初めて発見。以来、20年余りの
調査によって、正殿・門・回廊などが10地点で確認され大津宮中枢部の建物配置が
復元可能となり、この宮の前に造営された前期難波宮(大阪市)の建物配置と共通す
る点も多く認められました。京域は平城京や平安京などの都城にみられる条坊が整然
とした都市景観とは異なり、土地が狭いという制約などから諸施設を周辺部へ分散配
置した景観が想定されます。



大津京シンボル緑地
近江神宮の南側に位置し、万葉歌碑が二つ、並んでいます。
        ♪、さゞ波や 志賀のみやこは あれにしを むかしながらの 山ざくらかな
                 ♪、近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ



南志賀廃寺
大津京跡の探索の過程で発掘された天智朝当時の寺院跡と推されます。
かつては梵釈寺とも考えられ大津宮そのものに指定された事もありました。
文献上は明らかではないが、崇福寺・園城寺前身寺院・穴太廃寺とともに
大津宮をめぐる四大寺のひとつと、考えられます。
昭和3〜13年の発掘調査により、金堂を中心に 塔・小金堂・講堂を配し、
廻廊と僧房を囲む 川原寺式の伽藍配置となっていることが 明らかにされ
平安時代まで存続したことが明らかとなっています。



近江神宮
皇紀2600年にあたる昭和15年(1940年)に鎮座した新しい神社です。
667年に飛鳥から当地へ、近江京として遷都した由緒に因み、遷都を行った天智天皇を
祭神として設営されました。
天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置した歴史から境内には各地の時計業者
が寄進した日時計漏刻などを飾ってあり、時計博物館が併設されています。

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 香具山は 畝火(うねび)雄々(をを)しと 耳成(みみなし)と 相(あひ)争ひき 神代より
    かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
   中大兄皇子(天智帝)



昼食…鮎家の郷




お昼からは琵琶湖大橋を渡っての、蒲生野です。

万葉の森・船岡山を中心とする蒲生野一帯は、古代朝廷の遊猟の地で
往時の面影は何も無い田園地帯ですが、万葉集に興味のある人達の、
一度は訪れてみたい場所でしょう。

天智七年(668)五月五日、ここ蒲生野で薬猟が盛大に行われました。
天智天皇が主催者で、傍には藤原鎌足もいる。もちろん額田王も参加し
大海人皇子との間でこの相聞歌が交されたことで有名です。

るんるんあかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)
るんるん紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも (大海人皇子)

不倫の歌です。額田王は天智天皇の妻です。天智天皇とは中大兄皇子のこと。
大化の改新で蘇我家を滅ぼした人物です。
不倫の相手は、なんと前の夫、大海人皇子(後の天武天皇)です。
で、大海人皇子というのは、天智天皇の弟です。
 そもそも、大海人皇子の妻であった女性を、兄の天智天皇が奪った結果のこと
なんですが…なんだか、昼のどろどろドラマのような組み合わせです。

船岡山には、「蒲生野遊猟」の陶板モニュメントと 万葉歌碑があります。




山部神社赤人寺
山部神社と、隣接する赤人寺は、ともに万葉の歌人、山部赤人ゆかりの社寺。
山部赤人は、聖武天皇の時代に活躍した歌人で、経歴は不明ですが、広く各地を旅して
まわっていたことが、残された歌からわかっています。
 赤人は、ここ、蒲生町(現・東近江市)下麻生の地で生涯を閉じたとされ、赤人を祭神と
祀る山部神社境内には、赤人の歌を刻んだ石碑が残っています。また、赤人寺の本尊で
ある如意輪観音は赤人が安置したものと伝えられ、重要文化財の石造七重塔もあります。
  田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりける
  春の野に すみれつみにと 来し吾ぞ 野をなつかしみ 一夜宿にける

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山部神社の注連縄が、チョッと変ってます。中央の六角星も・・・イスラエルの旗みたいな・・・
どんな意味があるのでしょうか

コース途中の案内板は・・・