シリーズ・万葉集を歩く 第4回 2007年12月2日


宇多・阿騎野へ、かぎろひを求めて


ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ
(東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡)

今日は万葉集の中でも、一番有名な此の歌の作人・柿本人麻呂を訪ねて、大宇陀を歩きました。
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大阪梅田茶屋町==阪神高速 =南阪奈 = 道の駅「大宇陀」=女寄峠
嬉河原(屑神社)天益寺阿紀神社かぎろひの丘人麻呂公園
道の駅「大宇陀」宇陀松山町の町並み散策道の駅「大宇陀」==大阪





道の駅「大宇陀」
166号線と370号線の交わる位置にあり、宿場町をイメージした建物です。
地元物産(野菜)のコーナーがたいへん賑わっておりました。



女寄峠から半坂の小峠を越えて、「屑神社」へ
大和・伊賀・紀伊には、クズ神社が多く鎮座していますが、中でも、「屑」の字が使われているは神社は、
ここ嬉河原の当神社のみです。
王権から見下された民人としての国巣
(クス)、神武天皇の吉野山中譚に石押分の子として登場し、吉野
の国巣が祖とあり、宇陀に入っています。
吉野から宇陀への道筋に大宇陀町牧の九頭神社、栗野の岩神社と繋がる?

当地は宇陀から桜井の忍坂に抜ける交通の要衝でのあり、クズの民が境の神を祀ったのであろう。
祭神は御杖神社(伊勢と大和の境)と同様の境の神です。




正面の小高い山の上には、
宇陀松山城(秋山城)跡
があります。
この城は奈良県大宇陀町にある山城で当地では、古城山と呼ばれていて、標高は470メートルです。
もともと宇陀三将と呼ばれた一人、秋山氏の居城でしたが、後、福島孝治ら豊臣系の大名が入城し、
近世城郭としての生まれ変わります。のち孝治が廃されると織田信雄が入り、初代松山藩主として
宇陀松山を領しました。ところが丹波柏原に転封となり、廃藩となり、天領となったそうです。
(歴史研究会)



紅葉が綺麗だったので撮りましたが、お寺の故事来歴は?、どなたかご存知のお方・・・お教え下さい。


天益寺
創立は正和2年と伝えられる古刹。大願寺・大蔵寺と並んで大宇陀にある真言宗のお寺のひとつ。
西山を背景に茅葺きの屋根はよく映えたが、平成11年1月31日焼失。残念としか言いようがない。
枝垂桜と山桜は樹齢300年以上と言われる。桜花のドームは素晴らしいらしい・・・らしい・・・→



阿紀神社
社伝によると、垂仁天皇の御代皇女倭姫命が天照大神を祀った宇多の吾城(阿騎)宮が当社の起こりとなっている。
杉木立におおわれた境内には、神明造りの本殿と現在では非常にめずらしい能舞台がある。現在この能舞台では、
「あきの蛍能」として毎年、6月中旬に能楽が催されています。


神武天皇紀州熊野の難所を越し 大和国宇陀へ出て 当地阿騎野において御祖の神を敬祭り国中へ押出すとき朝日を
後に戴きて 日神の御位勢をかり 賊軍を打ちはらい御運を開かせ給ふと当社古文書にあり 祭神は伊勢神宮と御同体
の天照大神社殿は神明造り南向きと伊勢神宮と全く同じ建て方になっております。




かぎろひの丘

軽皇子のお供で狩猟に来たときの柿本人麻呂の歌

東 野炎 立所見而 反見爲者 月西渡
( ひむかしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ )

人麿がこの歌を詠んだとされる旧暦11月17日午前6時ごろに町役場横のかぎろひの丘・万葉公園に毎年集ま
『かぎろひを観る会』と謂うのがあるらしいですが、めったなことに『かぎろひ』は現れてくれないとか…

             『かぎろひ』とは・・・冬のよく晴れた夜明け、日の出の約一時間前に現れる陽光の事 )


柿本人麻呂のことは、
ココと、ココとを参照して下さい。・・・ココも・も・・・

柿本人麻呂の歌に関しては、ココと、ココとを・・・クリックしてみて下さい。




宇多松山町の町並み散策
「宇陀松山の象徴である、古い町家が並ぶ風景・・・しかし、その造りひとつひとつにも個性があり、
建てられた時代背景が色濃く反映されています。のんびりと古い町並みの佇まいを眺め、思いに耽
るのもいいものですが、町家の造りを読んでその向こうを読む、「町の博物館」を楽しむのも宇陀
松山の歩き方のひとつです」
・・・と、宇多松山観光案内のHPにありましたが、な〜るほど


松山西口関門
福島掃部孝治が城下町への出入口として今から400年前に建築したもので、昭和6年に国の史跡に指定されました。
宇多川から春日社にぬける道に位置し、付近には枡形がある。町の人には「黒門」と呼ばれ親しまれています。