持統天皇(鵜野皇女)



持統天皇(鵜野皇女)は、天武帝(大海人皇子)の兄の天智帝(中大兄皇子)の皇女で、
夫の天武帝とは、叔父と姪の関係でありました。

彼女が大海人皇子に嫁いだのは、13才の頃で、皇子はすでに27才、
彼は額田王の間に十市皇女を、尼子娘との間には高市皇子をもうけていました。
同母姉の大田皇女も同じころ大海人皇子の妃となつているし、
このあとも異母妹の新田部皇女や大江皇女も嫁いで後宮に送り込まれています。





天智帝が、かくも多くの娘達を、弟の元へ嫁がせたのは、もちろん政治的意図によるものでありましょう。
大化の改新以後、改新政治を推し進めていた天智帝は、有力な弟を是非見方にする必要があったと思われます。
13才で叔父に嫁ぐ、この幼い鵜野皇女は、すでに数々の政治謀略の嵐を経験していました。
そもそも、彼女自身が謀略の落とし種のようなものでした。

父・天智帝(中大兄皇子)は、クーデターの立役者であり、その事件に先立って蘇我氏内に仲間割れを起こさせるべく、
蘇我倉山田石川麻呂の娘と結婚しました。それが彼女の母・遠智娘でした。

その後、父・天智帝(中大兄皇子)は、蘇我入鹿暗殺を成功したあと、義父
(皇女の祖父)・石川麻呂に謀叛の疑いあるとし
て自殺に追いやり、彼女の母・遠智娘は、これを悲しんで病になり、死に到ってしまうのです。

父・天智帝の為に命を終わらされた母と祖父、こうした複雑な事情の中で生い育った皇女が『深沈・大度』の娘にな
っていったことは、当然と云えるでしょう。

父・天智帝
(中大兄皇子)が殺したのは、この二人だけではない。権力の座を目指す戦いの中で、他の妃の父親や、
その他のライバルを次々葬ってゆきます。
古代王権には、こうしたドライさはつきものです。そのドライさにおいて天智帝は超一級の人物であり、その父の側で
育った鵜野皇女
(持統天皇)は、いつのまにか そのドライ哲学を身につけていたのでしょう。

やがて、夫・大海人皇子と父・天智帝の問題が表面化し、夫が吉野の山奥へ引っ込む時、山深い吉野に従ったのは
多くの妃の内、彼女
(鵜野皇女)だけでした。

天智帝の死後、果たせるかな大海人皇子と天智帝の皇太子の大友皇子の間に戦い(壬申の乱)が起こり、その結果
夫・大海人皇子が勝ったところを見れば、彼女の賭けは見事に当たったとも云えます。

大海人皇子が飛鳥浄御原で即位して天武帝になると彼女は選ばれて皇后に立ちます。以来 帝の片腕となって活躍し
天智・天武の数多い皇子の中から、自分の息子である草壁皇子を皇太子に立てる事に成功するのです。

ドライな父の影響を受けていたであろう彼女が、その凄腕を発揮するのは、686年天武帝の死後、称制してからです。

まず、一番にやった事は、息子
(草壁)の最大のライバルである姉の子の大津皇子を謀叛の疑いで殺す事でありました。
夫・天武帝の死後、1ヶ月もたたない時のことでした。

この時、二上山に葬られた大津皇子を悼んで、その姉の大伯皇女が詠った挽歌が万葉集に残っています。
  
 うつそみの 人にあるわれや 明日よりは ふたがみ山を いもせと わが見む

しかし、689年、何度かの賭けにも敗れなかったコノ女王に、はじめて背負い投げを食らわされる事件が起こります。

それは、期待の息子・草壁皇子の死でありました。
    万葉集には、柿本人麻呂がその死を悼んだ挽歌が収められています。
   
あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも (巻2−169)

彼女・鵜野讃良はどんなに嘆き悲しんだことでしょう。しかし、嘆いてばかりはいられない。
草壁の遺児の軽皇子は7才、とうてい皇位は無理…ライバルに天武の子は沢山居ます。油断出来ないのです。

かくて、彼女・鵜野讃良が自ら天皇に・・・持統天皇の誕生となります。

持統女帝はまず、軽皇子の強敵である高市皇子をわざと太政大臣にまつり上げ、また藤原の地に、中国風の整然とした
新都(藤原京)を建設し、古代中国を手本にした法典『飛鳥浄御原令』を即位の前年に領布し、即位後も法律の整備に力
を入れました。

この時代から、日本は律令国家・法律と官僚機構によって動かされる一人前の国家として歩みはじめるのでした。

持統女帝は、697年に譲位し・・・軽皇子(文武帝)が即位し、その五年後・大宝二年に、夫・天武帝の待つ檜隅大内陵に
深い眠りについたのでした。









持統帝関連の十八首
番号 訓読
01/0028 春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
02/0159 やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし
神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし
その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし
荒栲の 衣の袖は 干る時もなし
02/0160 燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずやも智男雲
02/0161 北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて
02/0162 明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす
日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡みたる波に
潮気のみ 香れる国に 味凝り あやにともしき 高照らす 日の御子
09/1667 妹がため我れ玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波
09/1668 白崎は幸くあり待て大船に真梶しじ貫きまたかへり見む
09/1669 南部の浦潮な満ちそね鹿島なる釣りする海人を見て帰り来む
09/1670 朝開き漕ぎ出て我れは由良の崎釣りする海人を見て帰り来む
09/1671 由良の崎潮干にけらし白神の礒の浦廻をあへて漕ぐなり
09/1672 黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
09/1673 風莫の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに [一云 ここに寄せ来も]
09/1674 我が背子が使来むかと出立のこの松原を今日か過ぎなむ
09/1675 藤白の御坂を越ゆと白栲の我が衣手は濡れにけるかも
09/1676 背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
09/1677 大和には聞こえも行くか大我野の竹葉刈り敷き廬りせりとは
09/1678 紀の国の昔弓雄の鳴り矢もち鹿取り靡けし坂の上にぞある
09/1679 紀の国にやまず通はむ妻の杜妻寄しこせね妻といひながら
[一云 妻賜はにも妻といひながら]