「くいだおれ」の語源について
京の着倒れ、大坂の食い倒れ」という言葉は、京都の人は着物に、大阪の人は食べ物にお金を使い、こだわり、贅沢をするという意味の言葉です。
「京の着倒れ」は江戸後期の「東海道中膝栗毛」にも登場する言葉ですが、そのころから「どこそこの何
だおれ」という言い方が流行したそうです。
堺・伏見の商人を集めてつくられた大坂の町はもともと日本の都市文化を集大成したような町でした。
しかも古代以来、都への入り口として西日本の物資が集まる土地だっただけに .江戸時代には天下の台所といわれるほど豊かな街になったのです。
このように豊かな商人が多いところへ食材も豊かにそろった大阪の街は、こと 食べることに関しては他の追随は許さない食の街として発展したのです。
今日の日本料理の技法も、江戸時代の大坂で研究され、完成したものです。
江戸後期、ある博物学者が元禄時代の文献を持ってきて、「食は大坂である」ということを書いてから、大阪は「くいだおれ」となったようです。
弊店の創業者山田六郎は、この地に食堂を開店するにあたって、大阪を代表する店になることを願い、大阪を象徴する名として、「大阪名物くいだおれ」を採用いたしました。
創業当時は、なにやら縁起でもないと、周囲から猛反対されたとのことです。
今日でこそ大阪の代名詞とすら使われている
くいだおれですが、その当時にいたるまで会社やお店の屋号に使い、商標として用いる人は皆無でした。「昔から伝わる有名な言葉なのに、未だかつてお店の名前に使われたことがないのは大変不思議なこと、きっと私たちのために神様が取っておいてくれたに違いない」と創業者の夫人ただ一人のみが賛成したということでした。


道頓堀の歴史
道頓堀は江戸時代のはじめ、安井道頓という人物が自然の川を運河として整備 したものです。
江戸時代にはいるとすぐに、幕府の都市計画によって、道頓堀の南側に大坂じ ゅうの芝居小屋が集められ、長らく日本の芝居の本場として栄えてきました。
芝居に人が大勢集まることによって次に繁盛したのが食べ物屋でした。 そして大坂の町人の食い道楽を具現する街として、道頓堀は日本最大の食の街 としても栄えてきたのです。


くいだおれ人形について
創業者山田六郎は「大阪名物くいだおれ」を開店するにあたり、大阪を代表し日本を代表する食堂にするために、大勢の人々にしたしまれるようなシンボルが ほしいと考えました。
大阪・道頓堀といえば文楽の本場でもあります。
この伝統を生かしたものということで試行錯誤のすえに完成したのが「
くいだおれ人形」です。
当初、日本人の十人に一人はいるような、親しみのある、しかも上品で、男前の顔 という難しい要求に、あれこれといくつもいくつも試作して、持って行ってはNGの連続。頭にきた文楽人形師さんが発注者の社長の顔に似せて作ったところ、一発でOKが出たというエピソードも残っております。
現在の人形は創業まもない昭和二十五年の始めに登場し、半世紀以上にわたって、弊店の名物看板としてみなさまに親しんでいただいております。
平成六年の関西国際空港の開港にあたって海外旅行をさせましたが、その際、
「くいだおれ太郎」と命名いたしました。


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